沖縄の今を紹介!

Okinawa-Foodlab

コロナ後の世界はどう変わるのか?「分断」「二極化」「格差」。もう認めよう、もはや1億総中流の時代ではない。文春新書「コロナ後の世界」

◇◇文春新書「コロナ後の世界」このパンデミックで人類の未来はどう変わるのか?◇◇

新型コロナウィルスが国内に蔓延する中現代最高峰の知性6人に緊急インタビュー。世界と日本の行く末について解いた。このパンデミックは人類の歴史にどんな影響及ぼすのか。これからわれわれはどんなも未来に立ち向かうのか。世界史的文明して観点から大胆に予測する。

 

 

◇◇第1章「独裁国家はパンデミックに強いのか」ジャレド・ダイアモンド◇◇

 

■「分断」という言葉を独り立ちさせてしまったのが新型コロナウイルスのパンデミック。

 

「アメリカでは今、二極化がとてつもないスピードで進んでいる。」と筆者は警鐘を鳴らす。

潜在的なものから、顕在化させた、その媒体となってしまったのが新型コロナウイルスであった。実際には自由資本主義社会を謳歌できない人たちが数え切れないほどいるのだ。見て見ぬふり、気づいても気づかないふり、蓋をしていたものを、パンドラの箱を開けてしまった。その代償はあまりに大きく、「分断」と言う禁句、NGワードがついに一人で立ち、自分の足で歩み始めてしまった。

 

■オンライン、リモートワーク、そしてスマホが、現代人のコミュニケーションを歪めている。

 

人類進化学の権威でもあるジャレド・ダイアモンド教授は理由をこう解説する。「今回の新型コロナウィルスのパンデミックにより、人と人との接触がそして一人一人のつながりが完全に分断されたからである。コミニケーションの相手も人間ではなく画面上に写し出される文字に変換。面と向かって言えなくても画面であればお前は本当にひどい奴だと罵ることは簡単なのです。」

 

人間のコミュニケーションとは、顔と顔を合わせて、全ての5感センサーを駆使して、行うもの。好きでも嫌いでもいい。「情感」「情緒的つながり」を感じながらでないと、繋がりの鎖は、強固なものとして見えていたものが、いとも簡単に断ち切られてしまう。

 

「この傾向は世界的に見られるものですが、他国よりもアメリカで進んでしまっていいる。原因の1つは国土の広さがあると私は推測しています。アメリカ人はとにかく移動する距離が長い。この移動するという手段が完全になくなりました。その結果友人や知人とあまり連絡を取らなくなり、対面するよりも画面でのコミニケーションに依存しがちになります。」

2次元では「情動」は絶対に伝わらない。さらにSNSなどは、気持ちは文字に変換される。癖も何もない無機質なフォントである。そして、個人のつながりは薄れ、意見の相違が起こる。そこで、「逃げ場所として、自分と同じ意見ばかり見るようになる。挙句、気に入らない書き込みを罵倒するようになるわけです。」

仕事は、結局人間。今リモートワークの良い部分のみにスポットライトがあたってますが、私はオフィスという場所が生み出す、「繋がり」という価値を信じてます。人間の、ホモサピエンスの、繁栄の最大の能力「他人との共感」が、画面では薄れる、伝わらない、と確信してます。今、人との接触機会を少なくするは正しいですが、将来絶対その反動は来ます。

 

 

■「分断」「二極化」この言葉が日本でも進行中。すでにものすごい「格差」はある。日本人は実は気付いている。「自分は上級国民なのか?」「下級国民なのか?」

 

「Black lives matter」と言う言葉が流行しているのは、人種差別への抵抗が直接な理由であるが、黒人低所得者層の叫び声でもある。日本人は奥ゆかしいのか、それとも問題の本質を見たくないのか、自分が下級国民であると言うことを頑なに認めない。これは私の感じ方であるが、すでに日本国民の半分以上は下級国民である。「一億総中流」と言う言葉が流行ったのはもうすでに過去の話になってしまった。

実際私の運営するお店には毎日ひっきりなしに30歳男女問わず、社員希望という求人応募がやってくる。ここ沖縄では今雇用が壊滅的になっている。観光に携わる人が約20%と言う数値があるが、思うに観光客相手のお店、飲食店、お土産屋、居酒屋、タクシー、観光バスなどを考えると30%以上の人たちが観光と言う経済の基盤の上に生活をしていた人たちだと思う。沖縄では今観光業は「瀕死はまだマシ」と思えるくらい、死に絶えてる。滅ぼされている。ヒーローものの番組なら滅ぼされるのは悪者のはず。しかし沖縄で起こっている事は悪者では無い、普通の人たちが滅ぼされているのです。そしてそこに待ち構えているのは「収入ゼロ」という「下級国民」のレッテルだけ。

 

■教育格差。これが一番怖い。子供たちは未来だ。今だに裸足で駆け回る子供たちがいる場所が他にあろうか。沖縄では普通に見られる光景なんだ。「未来」が輝く将来が見たい。

 

我々大人たちの格差は自分たちの努力で挽回できる。目の前に立ちはだかる壁を壊すのは大人の義務だ。子供たちはどうだ。子供たちを勉強に向かわせるのは大人たちの仕事だと思う。机に向かう子供、ゲーム画面に向かう子供。その格差を埋めてあげなければいけないのは大人たち。大人たちが導いてやらなければならない。「教育は子供たちの勇気づけだけで大丈夫だ。」かの有名なアドラーの言葉である。しかし、格差を感じている大人たちが、格差というものおくびにも出さずに、子供たちに勇気づけの言葉を与えることができるのだろうか。「勇気とは・・・おのおじせずに、物事に立ち向かうこと」。

格差におびえ、将来へ希望もない大人たちに勇気が持てるわけがない。勇気のない人間に「勇気づけ」ができるわけがない。

 

「分断」を断ち切り、「格差」を取っ払い、前に進む勇気を、今、自分は最大に欲している。

 

■独裁国家、中国はパンデミック対策に成功しているのか。世界は独裁的な政治体制を持つ中国をうらやましいと思うこともある。

 

「中国の共産党一党独裁の政府は一度決断すれば強権的に緊急措置を実行することが可能。しかし民主主義国家よりも独裁国家の方が感染症に対して有効に対処できたかと言うと答えはノーです。」筆者は断定します。

「中国は自国内での封じ込めは早期にできたという事は事実です。しかし地球規模、全世界規模で見ると昨年12月に新型コロナに肺炎が発生した時、中国政府は情報を隠蔽しようとしていました。民主主義国家ではそのような情報統制することはほとんど不可能です。しかし独裁体制国家であれば悪い決断であっても迅速に行えるんです。今この元凶を作ったのは間違いなく中国です。中国が封じ込めに対して有効に対処できたかと言うと間違いなくノーなのです。」

 

情報統制、個人の行動履歴の管理、強制的な隔離入院、などをとってみると中国の施策は恐ろしさがつきまとうほど、中国自国内の新型コロナのパンデミック封じ込めに対しては有効であったのかもしれません。自粛、外出禁止の要請等、強権的な命令を下せるなら、管理する側の立場からとってきてみればすごく楽なのかもしれません。しかしこれはまさに自由と不自由のトレードオフです。このパンデミックが仮にきれいさっぱりなくなった社会が来たときにこの強権的、管理的な社会というものが人類にとってふさわしいのか、それは大いに疑問です。その時に、それでも独裁国家がうらやましいという人たちはいるのでしょうか。

 

■ひとの営み(いとなみ)という言葉。気取らないで、這いつくばろう、笑って泣いて。自分の人生をもう少し楽しんでもいいんじゃないか。

 

最後に改めて「自由資本主義」というイデオロギーに関して、深く考えなければならない。

ユヴァル・ノア・ハラリ。「ホモサピエンス」「ホモデウス」「21レッスン」の著者で現代最高の人類学者がこう言う。「自由資本主義社会というイデオロギーは共産主義や社会主義などに比べれば“まだマシ“という程度のものでしかない」。

私は「営み(いとなみ)」と言う言葉が大好きだ。そこには「人間」が間違いなく存在している。蠢いている。もがいている。笑っている。泣いている。感情が溢れ出ている。

 

完璧ではない現代社会の中で人並みの「営み」ができれば、贅沢、と言えるかもしれない。人間は愚かではない。新型コロナウイルスのパンデミックと戦いながら、丁寧に、丁寧に日々を過ごそう、そんな思いを抱いてます。